2010年7月30日午前1時27分。
大阪市消防局指令センターに通報が入った。
通報から約10分後、大阪市西区南堀江1丁目の現場マンションに到着したレスキュー隊は3階の1室にはしごをかけてベランダに入った。
ベランダにはカップ麺の容器やジュースのパックなどの大量のゴミが散乱。
10cm程開いていた窓からもゴミが山積みにされた室内の様子が見えた。
室内を捜索していたレスキュー隊がリビングを懐中電灯で照らすと一部がミイラ化した全裸の幼児2人が寄り添うように倒れていた。
レスキュー隊はすぐに無線で警察官に連絡。
現場マンションの玄関外で待機していた警察官を部屋に入れた。
冷蔵庫は空。
玄関や台所に通じるドアは、幼児が外に出られないよう粘着テープで固定されていた。
亡くなったのは、現場マンションに住んでいた下村早苗容疑者(23)の桜子ちゃん(3)と長男楓ちゃん(1)。
遺体は腐敗が進んでいて一部が白骨化していた。
現場マンションは大阪難波のファッションヘルス「クラブリッチエレガンス」が従業員用の寮として借りていた部屋。
大阪府警は遺体発見当日にこの部屋に住んでいた下村容疑者を死体遺棄容疑で逮捕した。
司法解剖の結果、遺体は死後1~2か月ほど経過。
胃や腸に食料は何も残っておらず、2人は少なくとも数日間は何も食べていなかった。
15㎡ほどのワンルームの室内には、空っぽの冷蔵庫のみ。
エアコンは動いておらず部屋は幼児2人の排泄物だらけで、ジュースのパックやスナック菓子の袋、おむつなどのゴミの山に囲まれて2人は息絶えていた。
検視の結果長女桜子ちゃんはマヨネーズや辛子、そうめんのだし汁、氷の結晶まで舐め、それらを楓ちゃんにも分け与えていた。
さらに食べ物がなくなるとゴミ溜めの残飯を漁り、カップ麺の容器もきれいに舐めた跡があった。
桜子ちゃんはゴミを漁って食べているうちに食中毒を起こし、弟の楓ちゃんより10時間以上前に死亡。
楓ちゃんには桜子ちゃんの体に付着した排泄物を食べたり飲んだりした形跡があった。
下村容疑者は自身の不倫と借金が原因で離婚後、名古屋市のキャバクラで働いたのち大阪のマットヘルスに勤務。
勤務先の風俗店が賃貸していた投資用ワンルームマンションに移ったが、この頃から育児疲れとストレスのはけ口としてホストクラブにはまるようになった。
すると次第に子どもの世話を放棄。
わずかな食料を置いて交際相手と遊び呆けるようになり、長時間家を空けることが常態化していった。
遺体が発見される3か月ほど前からは、2人をお風呂に入れることもおむつを替えることもなかったという。
6月9日、1週間ぶりに部屋に戻った下村容疑者は母親の帰りを待ち焦がれていた2人にジュース4本とおにぎり4つ、パンケーキ2つ、2食分の蒸しパン、手巻き寿司を与え、部屋のドアに粘着テープを貼って家を後にした。
友人宅を転々としたのち、家を出てから20日後の6日29日午後6時頃、下村容疑者はいったん帰宅。
そこで2人が亡くなっているのを見つけるも、通報することなくそのまま部屋を出た。
事件発覚の前日、下村容疑者のマンションの管理人に同じ階に住む住民から異臭に関する苦情が入る。
管理人はすぐに部屋の所有者である風俗店に連絡。
連絡を受けた風俗店の上司は、下村容疑者に部屋へ戻り様子を見てくるよう告げた。
店の上司からの電話を受け、夜に帰宅した下村容疑者は変わり果てた子どもたちの姿を目にするもまたしても通報せず、早々に部屋を出て交際相手のホストと神戸に行きホテルに宿泊。
さらに遺体発見当日にはSNSまで更新していた。
下村容疑者は店の上司に子どもが死んでいることをほのめかすメールを送り。
それを見た上司がマンションに行き「部屋から異臭がする」と110番通報した。
事件現場となったマンションは関西線のJR難波駅から徒歩6分、四ツ橋線の四ツ橋駅から徒歩5分程度の大阪南堀江の超一等地にある。
築23年のワンルームマンションで間取りは1K。
事件後しばらくは通常家賃より1万円ほど安い3万2千円の賃料設定で募集されており、南堀江の超一等地に破格の家賃で住めるとネット上で話題を集めた。
事件現場となったマンションの住民たちはその後「桜楓会(おうふうかい)」と呼ばれる住民会を定期的に開催。
「住民同士困ったときは助け合おう」と結束を固めたが、一人また一人と退去していき、現在はほとんど人が住んでいない状況だという。
下村容疑者は殺人罪で起訴され、逮捕時の死体遺棄容疑は不起訴処分となった。
検察側は「下村被告に明確な殺意があった」として無期懲役を求刑。
弁護側は「被告自身も育児放棄をされて育った影響から子どもへの殺意はない」として、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張し裁判は最高裁まで争われた。
逮捕から約2年半後の2013年3月、最高裁は下村被告に未必の殺意があったとして、有期刑としては最も重い懲役30年の実刑判決を言い渡した。
下村被告は自身の殺意が争点となった裁判の法廷で何度も「子どものことを今でも愛している」と口にした。
また拘置所へ収容後には「積極的でなくても殺意が認められることに納得が行かない」と訴える手紙を記者に送ったという。
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