2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の河川敷で介護殺人事件が起こった。
長年認知症の母親を介護していた長男A(54)が、母親(86)の首を絞めて殺害。
その後自らも母親の後を追って自殺を図るも死にきれず、血まみれで倒れているところを通行人に発見された。
有名な京友禅の糊置き職人であった父親と優しくおだやかな母親の間に生まれたAは、高校を卒業後後継ぎとして家業を手伝っていた。
職人気質の父親は子どものしつけにも厳しく、Aは父親の教えをひたすらに守って生きてきた。
その後呉服の国内需要が減り、家業は廃業。
Aは警備員や製造工をして食いつないでいたが、1995年に父親が亡くなると母親の様子がみるみるうちにおかしくなっていった。
母親は度々幻覚を見たり一人で買い物ができなくなったりするように。
下された医師の診断は、認知症だった。
母親の認知症の症状が日に日にひどくなっていく一方、Aの生活はさらに逼迫。
リストラで職場を追われ、工場の派遣従業員になることを余儀なくされた。
父親の死から10年が経った頃には、母親は昼夜が逆転。
Aが仕事で出かけている間に徘徊し警察に保護されるなどしたため、休職せざるを得なくなった。
Aは収入がなくなったことから生活保護を申請したが、休職していることを理由に認められなかった。
母親の症状はますます悪化していく一方で、復職のめどが立たず。
Aは休職していた派遣会社を退職。
その後3か月間失業保険を受給し生活をしのいだ。
介護と両立する仕事を探すも見つからず再度生活保護の申請に出向くも、今度は失業給付金を受給していることを理由に認められなかった。
失業給付金の支給が終わるとAは生活費を工面するため、母親のデイサービスを打ち切りカードローンを利用するようになった。
すべては母親の「生きたい」という願いを叶えるために。
しかしカードローンが限度額の25万円に達したことで、新たな借り入れができなくなるとAは母親との心中を決意。
入居期限の早朝、Aは母親といつものように食事を済ませると部屋をきれいに掃除した。
そしてアパートの所有者である親族宛てに遺書を残し、心中に使用する包丁やロープをリュックサックに入れて部屋を後にした。
最後の親孝行に。
Aは最期に母親に思い出の場所を見せておこうと河原町界隈を散歩しながら、ゆっくりと死に場所を探した。
やがてとある河川敷にたどり着くと、Aはやさしくも力のない声で母親に語った。
裁判では検察官がまるで弁護人のように泣きながらAの情状酌量を訴え、殺害時の2人のやりとりやAの「母親の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述を紹介すると裁判官も目を赤くして言葉を詰まらせた。
事件から5か月後の2006年7月。
Aには殺人事件としては異例の懲役2年6か月、執行猶予3年の温情判決が下った。
「母の年まで生きたい」
法廷で裁判官にそう約束したAであったが事件から約8年後の2013年2月、勤めていた滋賀県草津市の木材会社をクビになったと親族に伝えたのを最後に行方が分からなくなる。
親族が警察に行方不明届を出し懸命に行方を探したが、翌年の8月に遺体で見つかった。
Aが亡くなる際に身に着けていたカバンには自分と母親のへその緒とともに、「一緒に焼いてほしい」というメモ書きが入っていた。
在宅介護が介護者に与える負担はすさまじく大きい。
近年は介護者も高齢者である老老介護が増え、深刻な問題となっている。
高齢になり体や心の健康状態が悪化すると、多くの高齢者は老人ホームへ入居するがその一方で、現在の日本では手つかずで放置された「空き家」が増え続けている。
空き家は街の景観を損なうだけでなく、倒壊や放火などの犯罪の温床となる危険性がある。
そのため所有者や家族はできるだけ早く、賃貸するか売却するかを決断するのが望ましい。
YouTubeでもご覧いただけます。